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2018南牧村 8
Sat.10.02.2018 Posted in 南牧村
180116南牧村-5009元気で頑張っている和菓子屋さん、年を取ると甘いものが欲しくなるので和菓子屋さんは繁盛しているようです。

180116南牧村-5015和菓子屋さんは大きな看板も出していました。


180116南牧村-5012支流に沿って郵便屋さんがバイクを走らせています。未だ郵便配達にバイクが使われていなかった時代、坂の多い山村での配達はさぞ大変だったろうなと想像できます。支流沿いにしばらく行き、10年くらい前に出来たトンネルをくぐると日航機遭難のあった上野村に出ます。


180116南牧村-5027平地の少ない村なので、南牧川に張り出すように作られた家も多いです。多分バイパスが造られたとき、国か県で宅地も一緒に造成したのかなと想像します。10年ほど前に集中豪雨があり、支流の一つにある集落の道路が何か所も決壊し、1週間ほど陸の孤島になったことがありましたが、川沿いの家はどこもさぞ恐ろしかっただろうなと思われます。

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comments

長谷川さん こんにちは!
何か思い出すような写真です。見たような、あるいは想像していたような。
お菓子屋の名前が活気のあった頃を感じさせて呉れますね。

一枚目
あまりにも魅力的な店舗です
調てみました 創業明治10年 現在三代目
木材の看板は創業当時からでしょうね
入り口の左右にある障子柄を取り入れた店舗造りも粋ですよね
そこにある和の飾りもです
和菓子屋さんらしい雰囲気の店です
我社のこだわり・・・HPより
芸術は感動を届けます。お菓子は笑顔を届けます。
和菓子はまさしく芸術です
暖簾が一際目を惹きます
青地に白の竹と雀の紋・・・・
菓心処 信濃屋嘉助店のオリジナルかもしれませね

二枚目
左右の大きな家屋の中小型店舗に見えますので・・・
目立つ地に大きな看板を立てているかもしれませんね
このお写真の構図 とても好きです

三枚目
日本は交通手段が悪い時代から飛脚等で手紙が配達されていたのでしょうね
その後郵便局が出来て日本の隅々まで配達されるようになっていったのだと思われます
郵便が公営だった時代あってこそ 採算を考えずしてなし得たことかも・・・と考えたりもしています
その点において日本は先進だと思われます

四枚目
日本の地図を見ると平地は少ないです
それでも人々は知恵をだし労力を厭うことなく働き 平地以外の地に暮らしてきたのです
南牧川に張り出すように作られた家・・・・
人間のその知恵さえも思うことが出来ますが・・・
現在は人口が減っています・・・では・・・日本の未来をも考える機会を与えて下さるお写真です

地形

こんばんは。
南牧の地形に沿って出来上がった集落の形が非常に魅力的ですね。
自然災害があれば即影響を受けるであろうと想像できるような場所ばかりですが、映像としては素敵です。
養蚕業はこのような地形の地ではまさに天職のようなものだったろうと思われますが、時代の流れでそれでは生計が立たない場所になってしまっていますね。
13年前の新潟の積雪、降雪の様子も詳細がよく見えて素晴らしいですね。
しかし雪国の暮らしは、一斉に芽吹き出す春はどこの地の春にも負けませんが、この雪に潰されないようにするだけでも大変です。雪国で暮らしたのは3年間だけですが、最初の冬は筋肉を落とさないようにするだけで一苦労でした!
高齢者の多い集落では本当にご苦労なことだと思います。

相子さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
南牧村は日本の国土としての不易な面を戦前戦後の風景の中に残していると思いますので
それらをご覧になってきた相子さんには懐かしいものとして映るのではと思います。
りらさんが調べてくださったことによると、この和菓子屋さんの創業は明治10年だそうですから、まさに日本人の心を伝えてくれていそうです。
ありがとうございました。

りらさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
1枚目、2枚目、詳しい情報をありがとうございます。
本来ならば私が調べてキャプションを付けるべきなのですが、写真だけ載せればそれで終わりといういつもの悪い習慣でりらさんにお手数をおかけします。
創業明治10年と聞いて1枚目、2枚目をよく見なおしたのですが、創業当時の建物とも思えないので、大正か昭和の初めに建て直し
比較的最近になって左側の建物を増築しその時一緒に店舗の表側もアルミサッシに改築したのかなと思いました。
青地に白抜きで竹と雀の紋は創業者の芸術性によるデザインでしょうね。
3枚目、50年以上前になりますが、我が家が松戸に越したころは松戸市に郵便局の本局は一つしかなく、郵便配達は自転車で市内すべての配達をやっていました。
松戸市のはずれにある我が家に配達にきてくれたとき、「自転車でこんなところまで配達は大変だね、バイクにしてくれればいいのにね」と云ったら「そうなんですよ、ぜひそういう声を挙げてください」と云っていました。
それから何年か経って配達はバイクになりましたが、自転車で坂道を上がる大変さを今私はバイト仕事で実感しています。
私もバイクにすれば楽なのですが、それだとメタボ解消と運動不足解消のために始めた仕事の意味が無くなるので自転車で頑張っています。
4枚目、いつも思うのですが、数百年前、あるいは数千年前に渓谷沿いの森を何日も歩き、とある山の中でそこに根を下ろそうと決めた人たちが、家も食料も道具も無いところで、
どうやって森を切り開き、岩を動かし、畑を耕したのか、どうしても私には想像することが出来ません。
アフリカの大地でサルから人間に進化して以来、人類は苦難の道を歩き続けているわけで、それでもその時々には幸せを感じることもあったのかなと想像しています。
ありがとうございました。

yokoさん、こんばんは。
ブログを週末のみにされた件、了解です。
遡ってご覧いただきありがとうございます。
南牧村は養蚕とこんにゃく芋の栽培が盛んだったのですが、現在こんにゃく芋の生産は下仁田地方にほとんど移ってしまい、
かっては天まで届くほどと云われた山々のこんにゃく畑はほんのわずかを残すだけになってしまいました。
先日撮影の折に村の人と話す機会があったのでその原因をきいてみたのですが、こんにゃく芋をこんにゃくにする工場が下仁田にあったので
利便性の面からそうなったのだろうということでした。
まだトラックも無かった時代なので山道を荷車などで運ばなくてはならなかったのでしょう。
鉄道を造って銅を運んだ足尾とは大きな違いでした。
yokoさんも雪国で暮らされた時代がおありなのですね。
住んでみないと本当の大変さは分からないでしょうね。
長岡出身の女性が、二度と雪のあるところでは暮らしたくないといつも言います。
今年は久しぶりに長岡も大雪のようで屋根の雪下ろしも大変そうです。
コメントありがとうございました。
また来週お待ちしています。

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